

チリ南部のヴァレ・チャカブコを訪れるのは2年振りでした。2002年、パタゴニア地域でもとくに重要な生息環境を、土地を購入することで回復/保護することを目指す非営利団体〈コンセルバシオン・パタゴニカ〉は、かつてこの谷の大部分を占めていた広大な羊牧場、エスタンシアを購入しました。

チリ南部のコヤイケ市内、青草が生い茂るプラザ・デ・アルマス(中央広場)に馬に跨った人びとがあふれた。愛国心を象徴する旗と抗議のプラカードがパタゴニアの風になびく。伝統的なウールのポンチョに身を包んだガウチョ(カウボーイ)や農夫たちと、ポリエステルのフリースを着た環境保護主義者たちからなる125騎の壮麗な行進が通り過ぎると、数千人もの支援者が喝采を送り、ホーンを鳴らした。参加者のうちの30名あまりは、この地方の小さな町や人もまばらな農村地帯を抜けてコクラネから320キロという道のりを、そのうちの160キロ以上は馬に乗って、9日間かけてやってきた。

1985年4月9日は、青森県民にとって忘れられない日です。県議会全員協議会で青森県知事が核燃立地受け入れを表明したのです。たくさんの漁民、農民、酪農家が反対し抗議行動をおこしましたが、原子力マネーが、核燃関連交付金がやがて村から反対の声をつぶしていきました。
2004年当時ベニスビーチに住み、サーフィンとスキーを楽しむ19歳の理想主義者だった私は、アメリカの民主主義制度に自信を持っていた。けれどもフロリダで繰り広げられた選挙の破綻は選挙制度に寄せていた私の信頼を揺らがし、また同時に変化をもたらすために個人ができる何かがあるという確信が消えた。

すべての世代にはそれぞれ重要な大義がある。たとえば1940年代、人びとは経済への不安を一時忘れてヒトラーを打倒するリーダーに投票した。その後知らぬ顔をきめこんだ20年を経たいま、私たちが支持しなければならないのは、地球温暖化の問題に取り組む人びとである。
環境保護主義者として私は未来の世代のこと、つまり私たちが行動を起こした場合と起こさなかった場合の結果が後の世代に与える影響について、これまで長いあいだ考えてきました。そして私は、『この地球に続く7代先の子孫のために、自分たちの行動を考慮せよ』と説いたイロコイ族の原則に感銘を受けています。

「私たち人間は環境の産物であるだけでなく、その環境を担う不可欠な一部です」これはいまさら言うまでもないことです。けれども現代文明に生きる私たち人間の多くは、そのことを忘れ、「自然」をかけ離れた存在だと感じています。
前の世代の人たちには保証されていなかった権利と自由を持って1960年代にアメリカに生まれた私はしあわせ者です。参政権運動とアメリカ憲法修正第19条の可決によって、女性の展望が永遠に変化することになったのですから。

「言葉よりも行動を」を信条としている私たちですが、その一方で、言葉の持つ力も重視しています。ストーリーを語ることで人びとに影響を与えることができ、さらに環境に関する優れた書き物は地域社会での問題を明確に、そして詳細に提示することができるからです。パタゴニアの環境エッセイは、それを証明するものであり、反映したものであり、さらには環境に対する怒りや抗議の声でもあります。ここでは、パタゴニアのスタッフや活動家、そして友人の言葉を通じて、解決の困難な現在進行中の原生地域保護活動をご紹介しています。
