

これらのエッセイは、地理学的な教訓、スポーツに関する日記や逸話など、幅広い分野の話題を取り上げながらも、それぞれがすべて人生に傾ける情熱を秘めています。私たちはその情熱に共鳴し、彼らの物語を分かち合うことでその瞬間をふたたび祝福するのです。これらのエッセイを読むことで、皆さまは旅に対する見識や楽しさ、インスピレーションなどを得ることができるでしょう。そして環境問題にたずさわり、ご自身にとって居心地のいい場所を発見することを期待しています。フィールドレポートのコレクションは順次増やしていく予定ですので、ぜひご再訪ください。
イヴォン・シュイナードにはじめて会ったのは海だった。彼は小さなポイントブレイクでセットが入ってくるのをしずかに待っていた。1時間ほどイヴォンのサーフィンを見ていたが、その姿にはビジネスマンや環境保護活動家というよりも、配管工やカウボーイだった私の父や叔父を思わせる何かがあった。

キャンプをするのははじめてだ。テントのなかで寝袋に包まっていると、横では友人のジェームズ・マーサーが静かな寝息を立てていた。それ以外は…静寂。これまで一度も体験したことのない静けさだ。けれどもどことなく親近感がある。

広大なゴルフォ・デ・アンクー(アンクー湾)を走るカウエルモ号がレニウエの狭いフィヨルドに入っていく。このあたりにしては珍しく快晴で、海は穏やか。風もなく不気味なまでにしんとしている。カウエルモ号のくぐもった低いエンジン音がその静寂に広がる。人里離れたフィヨルドの先端にあるトンプキンス宅への交通手段はボートか小型飛行機しかない。

決心したのは5歳のときでした。15歳になるまでに、アディロンダック山地にある標高4,000フィート以上の46峰すべてに登頂しようと決めたのは。そしてその9年後、風の強い曇り空の下、最後の1つに登る朝目覚めた私は誇りに満ちた気分でした。脚は夏のハイキングでしっかりと鍛えてあったので、私たちは雨にならないことを願いながら足早に登っていきました。

デナリ南壁のスロヴァク・ダイレクト スコット・バックス、マーク・トゥワイトとともに
「スティーブ!ビレイOKだ」 まだアイス・スクリューやナッツやピトンを準備し終わらないというのに、スコットが声をかけてくる。3メートル登り、クラックによく効いたストッパーを配置して、4.5メートル左下手のレッジまでロワーダウンする。トポではここは氷壁になっているが、いま、氷はない。

この36時間というものの、歯はガチガチと鳴りっぱなしで、登頂の期待も吹き飛ばされていた。あんなに苦労したのに…。寒すぎてクライミングシューズが履けずやむなくエイドを使った急勾配でのムーブの数々、そして氷のオフィズスでなんとか死を逃れたマイキー、さらに、どこまでも続く雪のピッチをリードしたデイナ…。本当に登頂をあきらめていいのだろうか。

ホットラインは私が憧れる2人のクライマー、マーク・チャップマンとジム・ブリッドウェルが1973年に初登したルートだ。70年代のはじめ、高校生だった私は教室の後ろで『マウンテン・マガジン』に掲載されたブリッドウェルの記事、「果敢な新世界」を読んだ。チャップマンがオウル・ルーフにチャレンジする写真を見てすごいと思った。これがヨセミテのフリークライミング運動開花の真の始まりだった。
赤ん坊が口から吐き出したものから流れる液体が、手を伝ってギプスのなかに消えた。「どうせ私は新米よ!」 自分をののしる。「なんでこんなことする羽目になっちゃったの」 私は友人の子供のお守りをしながら、まわりの氷が砕け、登っていたプレートがはがれた決定的瞬間のことをふたたび思い出してみた。

珊瑚礁の切れ目、レモン色をした浅瀬が痣のように青紫色に深まっていくその細長い溝の部分に、それはじっとしていた。どんなバラクーダを見てもはっとするものだが、こいつの容貌には身の毛がよだった。20~30キロは優にある銀色の巨大な筋肉の円柱で、ぱっくりと開いた口にはデザインナイフのブレードのような歯がびっしりと並んでいた。

スウェル号のコックピットに腰を下ろすと、どこまでもつづく水平線が穏やかな揺れにあわせて視界から消えてはまた現れる。太平洋への航海に単独で乗り出してから5日、約950キロの距離を進んできた。常習的に荒れる海はしばし凪いでいる。ひとりきりの外海では、全身全霊でその瞬間を自覚するときもあれば、いまこのときのように静かに消え入ってしまいそうな時間もある。
ストロークがのろいのも無理はない。くりぬいた木のボードに7日分のキャンプ用具を積み込んでパドリングしているのだから。テント、寝袋、黒パン、固いチーズ、サラミ、エスプレッソ、VHFラジオ、GPS、フリース、釣り竿、ナイフ、iPod、太陽光充電器…。デッキの上下を占めるのは、ウィルダネスでのキャンプに必要なあらゆるギアをきちんと詰めたドライバッグ。
いつも思っていました。波に乗るにはかぎりなくたくさんの方法があり、それがサーフィンが最高のスポーツである理由のひとつではないかと。同じ波はふたつとなく、最近まで同じサーフボードというのもありませんでした。毎日同じスポットでサーフィンをしても、その体験は毎回完全に異なり、さらにボードを変えればまったく別のスポーツのようにさえ感じます。

どうしてサーフボードを作る仕事に携わるようになったのですか。 いまから10年前、悔いのない人生を送ろうと決意して始めたサーフィンがやみつきになってしまいました。そんなときにサーフボードを作る業界での仕事の話をもちかけられて、飛びついたのです。

1990年以来パタゴニアのフィールドレポートでは、アスリートやトラベラーそして冒険家たちの目を通して、自然の最前線に見られる強烈な印象や体験を垣間見てきました。これらのエッセイは、地理学的な教訓やスポーツに関する日記や逸話など、幅広い分野からの話題を取り上げながらも、人生に傾ける情熱がすべてのエッセイに秘められています。その情熱に私たちは共鳴し、そして彼らの物語を分かち合うことでその瞬間をふたたび祝福するのです。