by 浦島 悦子
沖縄本島北部「やんばる」(山原)。その亜熱帯の森の懐に深々と抱かれるように息づく珠玉の宝-奥間川をはじめて歩いた日のことを、私は一生忘れないでしょう。それは12年前の1996年12月、冬を忘れさせる温かい陽差しの降り注ぐ日でした。木漏れ日の差す山道を降り、せせらぎに足を踏み入れると、ひんやりとした水が汗ばんだ体を心地良く濡らしてくれます。木々のあいだから差し込む光にキラキラと輝き、楽しげに踊りながら流れる清らかな水は、岩に砕けて笑いさざめき、エビや魚たちと戯れながら命の讃歌を歌っているようでした。大小の岩を覆う苔の衣はたっぷりの水分を含んでしっとりとつややかに、さまざまな緑のバリエーションを見せています。頭上からは「フイッ、フイッ」と独特の鳴き声が聞こえます。ノグチゲラです。地球上で唯一やんばるの森だけに生息する一属一種の世界的珍鳥。国の特別天然記念物であり、絶滅危惧種に指定されています。目をこらしていると、木から木へと飛び移るように姿を消していきました。岩の上では人の気配に気付いたリュウキュウヤマガメが手足を引っ込めます。これも国の天然記念物です。岩の隙間にはイシカワガエルの子どもが身を潜め、川のなかではガラスヒバァが巧みな泳ぎを見せていました。こんもりとしたイタジイの樹冠が森の天井となって、野生の生き物たちを守っているのです。
奥間川は沖縄本島の最高峰である与那覇岳(503m)を源流とし、東シナ海に注ぐ全長5キロの小さな川です。現在は河口近くで隣の比地川と合流していますが、かつては別々の河口を持ち、両河川は奥間ターブックヮ(田んぼ)を潤していました。しばしば氾濫するので河川改修が行われていまの姿になりましたが、氾濫は決して悪いものだけをもたらしたわけではありませんでした。森の養分をいっぱいに含んだ沃土を田んぼに供給し、ずっしりと重い黄金の稲穂を実らせてきたのです。いまではその田んぼもサトウキビ畑に代わってしまいました。けれども地元の国頭村奥間や比地の人たちは、いまでも比地川を雄川(ウーガー)、奥間川を雌川(ミーガー)と昔ながらの愛称で呼び、鉄分の多い比地川の水よりも、まろやかでおいしい雌川の水を愛飲しています。豪快な大滝を持つダイナミックな比地川に比べ、繊細な美しさを持つ奥間川はたしかに、たおやかな乙女にたとえるにふさわしく思えます。
案内してくださった地元の方が「ここは、沖縄戦のときに山中で亡くなった避難民が埋められていた場所です」と川沿いの小さな平坦地を指さしました。中南部の激戦地を逃れてやんばるに避難した人びとの多くが山に逃げ込み、栄養失調や病気で亡くなりました。戦後、遺骨は遺族に引き取られ、その場所はいまでは何事もなかったかのように元の森に戻っていますが、川沿いにはまだあちこちに沖縄戦の痕跡が残っています。わずかに雨露をしのげるほどに張り出した岩の下に、いまも残る煮炊きの灰の跡や穴の空いた鉄鍋、茶碗や皿、薬ビン、ランプ、キセル…。60余年の歳月が一気に引き戻されます。地元の人びとを含め、「足の踏み場もないほど」多くの人びとがやんばるの山中に隠れていたと聞きます。山と川に庇護されて命を長らえた人びとは「命の恩人」への感謝をいまも忘れることはありません。
以来、私は同じように奥間川の魅力の虜になった数人の仲間たちと川を歩きはじめました。世界地図では点にしかならないこの小さな島にも、島の中央を縦断する脊梁山地から流れ出す川が無数にあります。その多くが私たち人間の利便性のために開発の犠牲になり、あるいは汚染が進むなかで、奥間川はわずかに残された自然の清流です。小さいながらも下流、中流、上流、源流部とそれぞれの表情を持ち、季節ごと、歩くごとにあらたな発見の喜びを与えてくれるその川に、私たちは夢中になりました。自然が創り出す造形美の前には、人智の限りを尽くした芸術も色あせて見えました。