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生命誘う水の流れ
春、川に泳ぎ出すサケの稚魚。ユスリカなどの水生昆虫
写真: 稗田 一俊

生命誘う水の流れ

by 稗田 一俊

北海道南部に位置する、日本で唯一日本海と太平洋にまたがる八雲町。この町に太平洋に注ぎ、サケが上る遊楽部川(ユーラップ川)がある。私は30年以上にわたってこの川でサケやその流域に住む動物たちの撮影を手がけてきた。2009年が明けた冬真っ只中のあの日も、この川沿いを車で走りながら、オオワシとオジロワシが止まる木を調べていた。越冬のためにロシアから飛来するオオワシは日本で見られるワシタカ類のなかでは最大で、国の天然記念物に指定されているが、近年は個体数が減り絶滅の危機にある。また北海道の一部の地域で繁殖しているオジロワシはアイヌ民族が「カパッチリカムイ」(ワシの神)と呼び、キムイカムイ(ヒグマ)やコタンクルカムイ(シマフクロウ)と並んで崇敬しているワシで、モンゴルの国鳥でもある。1羽のオオワシが川岸のひときわ高いドロノキに止まり、足につかんだサケを大きな鋭いくちばしで小さく引き裂いて食べていた。冬を乗り切るための餌を求めて、サケが自然産卵する川にやって来ていたのだ。川には産卵を終えてその一生を全うしたサケたちが、身を横たえていた。

遊楽部川で生まれたサケは大きさが10センチ、体重が10グラムほどになると海に下り、はるか北太平洋に旅立って、3~4年後にふたたび川に戻ってくる。大きさは全長70~80センチ、体重は4~5キロにもなっている。大きく成長したサケは、言いかえれば、海の栄養を体にたっぷりと貯えて川に戻ってきたと言える。そのサケをオオワシやオジロワシが食べ、ヒグマやキタキツネも食べる。彼らがバラバラにして食べ残したものは、今度はカラスやカモメ、マガモやオオハクチョウたちが食べる。もしも彼らが川に上ってこなかったら、鳥や動物たちは冬を乗り切ることができないだろう。彼らにとってサケは大切な食べ物なのである。オオワシは木の上でサケを食べるため、その一部は地上に落ちる。そしてさらに食べた物も糞にして、地上に落とす。ヒグマやキタキツネたちはサケを口にくわえて山に入り、同じように食べ残しをしたり糞をしたりして、サケの栄養を地上にばらまく。こうして海の栄養は川を通って山に上り、土にかえって山の草木を育てる。川ではバラバラになったサケをスジエビやモクズガニ、水生昆虫が食べる。水に溶け込んだサケの栄養は川岸の草木が利用するだけでなく、今度は逆に海に流れ込んでプランクトンの餌になる。サケがこれほどまでに多くの生き物たちを育んでいることに、あらためて驚かされる。

人間は「母なる川」に戻るサケの母川回帰の習性を利用して、人工ふ化で育てた稚魚を多くの川に放流してきた。遊楽部川には9月に遡上する北海道東部の標津川のサケと10月に遡上する北海道中央部の十勝川のサケが放流されている。9月に標津川でサケの遡上が始まると、この川でも標津川からやってきたサケたちが遡上し、10月に十勝川で遡上が始まると、この川でも同じ川を故郷とするサケが上ってくる。そしてもともとこの川にいたサケは11月に遡上する。さらに上流や下流、あるいは支流ごとに、遡上する時期がそれぞれ微妙に異なるサケがいる。同じサケでも習性が川ごと、支流ごとも異なることがわかる。そして興味深いことに、移植されたサケが遡上する9月や10月は、オオワシやオジロワシはこの川には飛来していない。なぜならワシたちは移植サケの存在など知るよしもなければ、彼らの遺伝子には記憶としても組み込まれていないからだ。

産卵を終えたサケは力尽き、我が子の誕生を見ることなく、その一生を終える。卵は身動きひとつできないまま川底に置き去りにされる。けれども、春先には小さなサケの子どもたちが川に泳ぎ出す。親がいなくても育つのだ。では誰が育てているのだろうか。答えは「川が育てている」だ。サケは湧き水のある川底に産卵する。尾ビレで川底をはたいて砂利をどけ、窪みをつくり、石と石のあいだに卵を産み落とす。そのとき、川底の石のあいだに詰まっている小砂利や微細な砂を尾ビレではたき出し、石のあいだをすき間だらけにする。そしてその真んなかに卵を産み落とす。石にすき間があるから湧き水が通りぬけ、卵のまわりの水が入れ替わる。つまり、卵はつねに新鮮な湧き水にさらされるようになっているのだ。これが親がいなくても卵が育つ仕組みである。それは、とりもなおさず自然の川の仕組みでもある。川岸のヤナギが葉をすっかり落とした秋の終わり、橋の上からサケが川底を掘る様子を撮影していた。川底は砂が目立ち、大きな石が少なくなっていた。尾ビレではたかれた川底からは濃い泥煙が立ち上った。サケがつくろうとしている産卵床にアリ地獄のように砂が滑り落ち、窪みが埋まる。サケは産卵床づくりに苦労していた。ここに卵を産み落としたらどうなるだろうか。サケは産卵後、すぐに砂利をかけて卵を埋める。砂が多ければ卵は砂に埋もれ、石のすき間は砂でふさがる。石のすき間がふさがったら水は通り抜けることができない。新鮮な水が流れてこないから、卵は窒息してしまう。これまでは川底には大小の石があり、粗い礫で、微細な砂やシルト(泥)はなかった。

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著者
カメラマン。大学を卒業後、水中撮影の映画会社に勤務。その後フリーランスカメラマンとなる。1975年に東京の多摩川で日本でははじめてのヤマメの自然産卵を撮影。その後、北海道南部八雲町の遊楽部川でサケの撮影を手がけるようになり、1980年には日本ではじめてイトウの自然産卵の撮影に成功する。<流域の自然を考えるネットワーク>のメンバーとして川と流域の撮影/調査に携わるだけでなく、問題点を川の管理者に提案するなどより実際的な活動にも従事。『鮭はダムに殺された - 二風谷ダムとユーラップ川からの警鐘』(2005年岩波書店)など著書多数。「野生に魅せられて・イトウの産卵」(NHK)、「どうぶつ奇想天外!」(TBS)をはじめとして多くのテレビ番組の制作にも参加。八雲町在住。詳細は hiyeda.com を参照。

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